ふと訪れる(平等院鳳凰堂)。

平等院良く晴れた冬の宇治。

親類が宇治に住んでいるので、その帰途に平等院を訪れました。

平等院鳳凰堂は、藤原頼通が平安後期に創建。

昨年に平成の大改修を終えた、その境内をぶらっと散策していると、

裏の方に、なぜか源頼政のお墓がありました。

「平家にあらずんば人にあらず」と言われた世にあって、平清盛から信頼され、

源氏としては破格の従三位に昇り源三位(げんざんみ)と称された頼政。

その後、平氏の専横に不満が高まる中で、

以仁王(もちひとおう)と結んで平氏打倒の挙兵を計画し、

諸国の源氏に平氏打倒の令旨を伝えることに。

その動機について「平家物語」は、頼政の子・仲綱が所有していた名馬を、

清盛の三男の宗盛が権勢を傘に強引に奪い、しかもその馬に「仲綱」という名をつけて

侮辱したのがきっかけだったとか・・・

しかし、平氏打倒の計画は露見し、準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、

最終的には平氏の追討を受けて平等院の戦いで敗れ自害。

「埋木の花咲く事もなかりしに、身のなるはてぞ悲しかりける」

弓の名人にして歌人でもあった77歳の老将に思いを馳せました。

 

 

コメントはまだありません

No comments yet.

RSS feed for comments on this post.

Sorry, the comment form is closed at this time.