京橘総本店は、「時代に応じた和菓子と手作り」にこだわり、一つ一つのお菓子に応じた最高の原材料を吟味・使用し、お客様にお喜びいただける商品を追求しております。
「みやび貝合わせ最中」のほか、餅菓子では「本栗餅」や「はんなり桜小餅」、焼菓子では「三十石」や「京乃茶々」、お干菓子では「二ツ橘」を中心に、彩り豊かな商品を取り揃えております。
なお当店の和菓子は、京の逸品お取り寄せサイト「特選京都」にて販売いたしております。
お取り寄せや季節の贈り物にどうぞお選びください。
みやび貝合わせ最中
宮中古来の雅な遊び「貝合わせ」をモチーフにした御菓子。厳選した小豆を使用し、この最中のためだけにじっくり炊き上げた餡(あん)をたっぷり入れ、餡(あん)の中に やわらかなお餅を包んでいます。
そもそも本来の貝合わせは、合わせものの一つとして貝殻の色合いや形の美しさ、珍しさを競ったり、その貝を題材にした歌を詠んでその優劣を競い合ったりする貴族たちの遊びでありました。また貝合わせは、唯一無二のペアとして夫婦和合の象徴として重宝され、結婚運や夫婦円満運などの良縁を表すものされ、現在でも、ひな祭りには蛤(ハマグリ)のお吸い物を食べたりするのはその名残とも言えます。
御祝いのご進物などにも重宝いただいております当店の銘菓。ぜひご賞味くださいませ。
伝統〜京橘の歴史
享保年間、江戸両国において創業した立花屋(たちばなや)が前身。

厚生大臣より感謝状授与
大正末期、先々代である(後に名匠と言われる)故八木隆治が当時、伯父であった立花屋8代目主人に師事(後年、橘屋への変更の了解を得る)。
八木隆治の母は、千葉県八日市場の鶴泉堂という天明年間創業の老舗菓子屋の娘であり、婿に入っていた両国の立花屋の主人とは兄妹関係であった。
昭和 8年 関西に進出。その後、大阪天神橋筋にて橘屋を開業する。太平洋戦争の激化により一時休業を余儀なくされる。
昭和20年(戦災の為)京都の地で再開する。
昭和28年 戦後の菓子業界を立て直した功績により厚生大臣より感謝状を受け取る。後年、橘屋は10代目を正式に引継ぐ。

総理大臣賞授与
昭和32年 菓子研究会である京都緑茗会(ろくめいかい)を発会。
昭和33年 組織を法人化し「株式会社 京橘」(京橘総本店)とする。
昭和34年 「総理大臣賞」受賞。
昭和46年 京都市左京区下鴨に本店を移し現在に至る。