歴史・沿革
享保年間、江戸両国において創業した立花屋(たちばなや)が前身。
大正末期、先々代である(後に名匠と言われる)故八木隆治が当時、伯父であった立花屋8代目主人に師事(後年、橘屋への変更の了解を得る)。
八木隆治の母は、千葉県八日市場の鶴泉堂という天明年間創業の老舗菓子屋の娘であり、婿に入っていた両国の立花屋の主人とは兄妹関係であった。
昭和 8年 関西に進出。その後、大阪天神橋筋にて橘屋を開業する。太平洋戦争の激化により一時休業を余儀なくされる。
昭和20年(戦災の為)京都の地で再開する。
昭和28年 戦後の菓子業界を立て直した功績により厚生大臣より感謝状を受け取る。
後年、橘屋は10代目を正式に引継ぐ。
昭和32年 菓子研究会である京都緑茗会(ろくめいかい)を発会。
昭和33年 組織を法人化し「株式会社 京橘」(京橘総本店)とする。
昭和34年 「総理大臣賞」受賞。
昭和46年 京都市左京区下鴨に本店を移し現在に至る。